2013年10月18日金曜日

ライプニッツの神と私の雑感

五三 [...] 神のもっている観念のなかには、無数の可能な宇宙があるが、現実にはただ一つの宇宙しか存在することができないから、あれではなく、これを選ぼうと神が決心するためには、それなりの十分な(究極的)理由がかならずある。 
五四 そしてその理由は、(神における目的と行為との)適合、すなわち、これらの世界がふくんでいる完全性のうち、どれがいちばんすぐれているかということのなかにしかない。すべて可能的なものは、それぞれ内につつんでいる完全性の度合に応じて、存在を要求する権利がある(ということが、神の選択の前提になっている)わけである。
五五 これこそもっとも善い世界が、現に存在している理由である。神はそれを知恵によって知り、善意によって選び、力によって生み出す。 
(ライプニッツ『モナドロジー』) 

 ライプニッツの神は世界をただ一度だけ創造する。森羅万象は「天地創造のはじめ以来」、分解されず、一切消滅することなくある。それは神の「創造によって生じ」たものである。ライプニッツの神は、あらゆる「ものの最後の理由」としてその存在がまず語られることになる。あらゆる偶然的心理は、それぞれ神へと至る道(というよりも神からきた道)をもっている。宇宙論的に証明された神は「一つしかない」。
 神の悟性(あるいは知性)のうちに秘められた無数の宇宙は、もっとも完全性において優れているもののみが実現される。その宇宙は神に対し、さまざまな要求を投げかける権利を持ち、じじつ投げかけているのだろうか、そこにおいて神は最善たる世界を選択する。
 世界、あるいは宇宙という言葉をひろく取ると、この神は文筆家、いやむしろ作曲家的であるように思える。まず森羅万象として五線譜を創造する。その五線譜のあり方は、可能的にあらゆる音楽をそのうちに含みつつも、いまだ統御されていないあり方として無秩序である。そのうちあらゆる秩序・無秩序が神に対して要求の声を投げかけ、神が最善だと思った音楽のみを引き上げる。まさに「知恵によって知り、善意によって選び、力によって生み出す」。各々の一音一音は、作曲者、あるいは演奏者に働きかけることで全体をなし、彼らを通じることによってのみお互いの関係が得られるようになる。一切の空間的な広がりを持たない音=モナドは、その時、その音楽作品全体=宇宙との連関にあって、「宇宙を映し出している」のだ。

 ひどく雑駁な上、正当なライプニッツ理解から幾分(下手をすれば大きく)逸れるものになるだろうが、『モナドロジー』という一つの体系(とはいえ、一つの「機会の書」(下村寅太郎))に触れた「雑」感として、お許し願いたい。


 ライプニッツ、清水富雄 竹田篤司 飯塚勝久 訳『モナドロジー 形而上学叙説』(2005, 中央公論新社)より、清水、竹田による訳の「モナドロジー」を参照した。

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