2014年1月11日土曜日

夜風に漂う

 ふんわりとした柔らかい風が私の髪を優しくすり抜けていった。夜のにおいがした。すこしあたたかい気もした。

 何年ぶりだろうか。
 今にも抜けてしまいそうな屋根の上を歩く。屋根が抜け落ちてしまったら軽くは無い怪我をするに違いない。滑って落ちてしまえば、骨だって折れるだろう。打ち所が悪かったら死んでしまうかもしれない。体が大きくなった分だけ、そんな要らない事まで考えてしまう。
  夜の海の底で、傾きの大きな屋根に仰向けになる。私が少し動く度にぎしぎしと屋根は悲鳴をあげる。見上げた空は無邪気な頃に見たそれとはまったく違って見えた。実際にまったく違っているのかもしれない。周りにいろんな建物ができたし、眼だって悪くなった。けどあの時よりは背も伸びた。ほんのちょっとだけ、空に近い。
 秋の夜にはどんな星座が見えたっけ。一つも思い出せないから、悔しくなって丸い月をぼんやりと眺めることにした。満月というには、少し左側が欠けている気がする。それでも十分に眩しくくっきりとした金色で、きんきんと空を照らす。
  月にはうさぎが住んでいる、なんて話を聞かされて、昔はずっと本当だと思いこんでいた。そんなわけないよ、と今の私は昔のわたしを諭すように呟いた。それと同時に、そんなわけないよ、と今の私が昔のわたしに諭されたような気持ちにもなった。忘れたのは、秋の夜空に輝く星座だけじゃなかった。

 昔から思っていたよりもずっと、秋の夜は明るくて暖かい。夜風も、それに乗せられる大気も、突き刺さるように鋭い月光でさえも、私のまわりで全て愛撫するような柔らかさを持つ。
 そんな暖かさの中で、私は自分の左腕を掴んだ。きちんと私の左腕は熱をもってそこにある。そうして空気との境界を確かめていなければ、いつそこに溶け込んでしまうか不安になってしまう。月を羨ましく思う。
  そういえば、いつもそうだ。
 私は自分に無いものばかりを欲しがって、手に入れられないのを悔しがって、涙を流してはまた満たされることのない欲をはる。それをいままでずっと繰り返してきた。いまは自覚している。けれどやっぱり欲張ってしまう。
 嫌な性格だな、と自嘲して体を起こした。携帯電話を開いて時間を見れば、もう「今日」は昨日になっていた。まだまだ星たちは眠ろうともしない。
  ひとつ欠伸をして、私はお休みなさい、と呟いて部屋に戻ろうと、立ち上がった。かさりと音をたてて、私の服に引っかかっていた落ち葉は夜風に漂い、やがて見えなくなった。あの月には届くのだろうか。私の気持ちを乗せた落ち葉は、どこまでゆくのだろう。
 誰が聞いているだろうか。私は夜の海の奥底でもう一度呟いた。

 「お休みなさい。」

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