2014年7月9日水曜日

書き込みのある古書

 たまたま古書店で小綺麗なデカルトの『方法叙説』を手に入れたのだが、それにはやや不似合いといえる量の書き込みを、第五部の冒頭に見つけた。少し古風ではあるが無骨とまでは言えず、雑ではあるが崩落していない危なっかしい文字たちが、余白を埋め尽くし、次のページにまで至っている。ここにすこし引用してみようと思う。

 「……そもそも月の光は常に太陽の其れを享けて我々の目に至る。光は、何らの影響を受けない限り、直進するものであるから、差し当たりそういった影響を総て除いた上で考えてみようと思う。さて今宵私が目にした月について考察を加えよう。光が直進するという性質を持つならば、月の輝きを線対称に分割する直線を引いた先に太陽が存することになるであろう。此処で太陽、月、そして私の三者を、私の思惟のうちに位置づけてみようとすると、私が描く三本の座標軸の総てと、太陽と月とを結ぶ線分とが捻れていることに気がついた。私の前後左右上下は、必ずしも宇宙のそれと一致するわけではないのである。何と愉快か! 私の座標軸の一端を成している、この本郷通りにおける私の歩みは、太陽と月とを結ぶ線分を歩む人びとにとってはおそらく左上から右下へと落ちてゆくが如くに見えるのであろう。私にとって、彼らの歩みはさながら流星の如くに見えるのであろう! 思えば地球は丸いそうだ。私は実際に見たことが無いので知らないが、地球は丸くて、しかも傾いているそうだ。この本郷通りという座標軸は、大きく見ればメロンの網目でしかない。そもそも座標が湾曲しているではないか。地面に依らない精確な座標であっても、そもそも私の持つ座標軸と、私の前を歩む若き青年の持つ座標軸とは捻れているではないか。何と、歩みに於いて刹那毎に捻れた座標を持っている、刹那毎に違う世界へ踏み入れている。何と私の流星にして、世界の間を遷り歩むことであろうか!……」

 省略した部分には『方法叙説』の内容や論理構成に関する覚え書きがあったが、そこに関してはあまりおもしろくなかったので引用するのはやめておいた。閉まりっぱなしになっていたカーテンを開けてみると、今日は満月だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿