2020年6月18日木曜日

初期印刷本を読む

 必要があってガンのヘンリクスの Summa Quaestionum Ordinarium の一部に目を通した。この本は 1520 年にパリで出版され、その後、1953 年に Franciscan Intstitute が二巻本のリプリント版を出版している。ガンのヘンリクスの著作は、現在 Leuven Univeristy Press が 1979 年より全集の批判的校訂版出版を開始している。全四十六巻が予定されており、現在十七冊刊行されている。今回参照した箇所は、まだ全集が出ていない箇所であったので、1520 年に出版されたもののデータをインターネット上で見つけて読むことにした。

 1520 年の出版なので、印刷本としてはかなり初期のもので、中世の写本のように、独特の略字を用いて多くの単語が縮約されている。略字が何を表しているのかについては、ある程度はインターネット上の、日本語で書かれた情報だけで読むことができる(インキュナブラ小辞典)が、略字は種類が豊富であったり、頻繁に用いられるためにかなり大胆に省略されているものの、それがかなり専門的なテクストにしか現れないため、必要な情報がなかなか得られないということもある。ここでは、パッとは分からなかった二例の読み方を残しておこうと思う。

 一例目は右欄の Q の数行上、下線の文字である。その周辺のテクストは以下のとおりである。「そしてそれゆえ、完全な認識は、認識するものに対する認識するものの完全な類似化からしか進行せず、被造物はそうした類似化を、神との関連で私たちのうちに作ることはできないのだから、神が何であるかということについての完全な認識は、諸々の被造物からは有され得ない。ところで、被造物はすべていっそう劣った段階である。[q?] 被造物を通じて神が何であるかを完全なしかたで認識するための完全な類似化が生じるためには(?)」(« Et ideo cum perfecta cognitio non procedat nisi ex perfecta assimilatione cognoscentis ad cognitum, quam non potest facere in nobis creatura respectu dei, perfecta cognitio eius quod quid est deus, ex creaturis haberi non potest: sed omnis creatura est gradus multo inferioris [q?] ut per ipsam fiat perfecta assimilatio ad perfecte cognoscendum quid deus est »).


 なんとなく比較をしていそうな雰囲気だが、quam ut というつながりはあまり見たことがない気がしたのでよく分からなかったが、Dictionary of Medieval Latin from British Sources (logeion) を参照すればそういう例があるという。quam の用例の 6c で (introducing ut clause w. subj. after compar.) too... to... というものがあるらしい。なので、上の日本語訳も [q?] を省いてそのまま通じるようなものになりそうだ。(この例が分からなかったのは完全に不勉強のせいだ。)
 (ただし、底本の句読法について若干疑問は残る。« sed omnis... » 前後で「神の何であるかを被造物から得ることはできない」という情報が重複しているように思われるからである。それは « sed omnis » の前にコロンが置かれており、強い区切りのように見えてしまうからかもしれない。内容としては、最終的に、「そしてそれゆえ、完全な認識は、認識するものに対する認識するものの完全な類似化からしか進行しないが、被造物はそうした類似化を、神との関連で私たちのうちに作ることはできないのだから、神が何であるかということについての完全な認識は、諸々の被造物からは有され得ず、むしろ被造物はすべて、被造物を通じて、神が何であるかを完全なしかたで認識するための完全な類似化が生じるためにはいっそう劣った段階である」のように、non... sed... のような対として理解するほうが穏当か?

 二例目は左欄の S から数行下がったところにある下線の部分である。その周辺のテクストは以下のとおり。「第一のしかたで考察された抽象は、例えばこの善やあの善からの善の抽象のように、個的なものから普遍的なものの抽象である。というのも、[sm phm?] 普遍的なものとは多くのものものにおける一なるものだからである」« Alio modo ut absolutae a suppositis. Considerata primo modo, est abstractio universalis a particulari, ut boni ab hoc bono et ab illo: quia [sm phm?] universale est unum in multis ».


 連続する単語が著しく縮約されているため、こちらも読めるようになるまでに少し時間がかかったが、分かってみればそんなに大したことはない。「普遍的なものとは多くのものものにおける一なるものである」という表現が鍵となる。これは、中世においてアリストテレスの権威として広く受け入れられていた普遍的なものの規定である。そうなると、この縮約形も「哲学者によれば」« secundum philosophum » であるとわかる。この表現は、中世の哲学のテクストならば何度でも出てくるものなので、「わかるでしょ」ということでたった五文字にまで縮約されてしまったのだろう。

 話は初期印刷本から逸れるが、科学研究費を用いてフランスの Troyes の図書館に行き、『スコトゥスの論理学』Logica Scoti というテクストの写本を読んだときに « 2m »(正確には m は上付き文字のように書かれていた)という略字を見た。文脈からして « secundum » としか読めないものであった。前置詞の secundum は確かに数字の 2 を意味する secundus に由来するそうであるが、前置詞を数詞に遡って、しかもアラビア数字を用いて大幅に縮約するというのは大胆な気がして面白く思った。